おじさんになるということ
生きることはつらい。
だいたい中学生ぐらいから、生きていることが辛いと思うようになった。
おじさんになった今でも、生きることはそれなりに辛いけれど、ずいぶんと楽になった。
自分自身が無価値であることに打ちのめされ、日に日に焦りが増し、無力感に苛まれる、あのジリジリと焼かれるような苦しさのなかに学生時代のボクはいた。死にたいとも思っていた。
それは、今になって思えばだが、あまり友達がいなかったこと(今でもいないが)や、才能に溢れる同級生に囲まれて劣等感に苛まれていたところが大きかったし、何よりも私自身、ずっと傷つきやすかったのだと思う。
傷つくことを恐れて、自分自身が空っぽであることを見破られることが怖くて、クラスメイトとも話せないほどにどんどん内向的になっていった。そんな10代を過ごしてきた。
それから何十年と経って、おじさんになるに連れて、傷つきやすい感性が消えていった。自分自身がどうあるべきかについて悩むことがなくなっていたし、人からどう思われようがどうでもよくなった。
さらに結婚してからは、(当たり前であるが)恋愛について悩む必要がなくなった。恋愛を意識しなくていいので、異性とも変に意識をせずにコミュニケーションが取れるようになった。男女とか恋愛とかモテるとかモテないとかそんなことに悩まなくてよいことが、こんなにも楽だとは!
若さとは、生きているだけで、胸が締め付けられるように苦しいということだと思う。その苦しみが緩やかにアポトーシスを迎えて死んでいってくれたから、私はおじさんとしてこうして今日を生きていける。
おじさんになって、ぼくは救われたのだ。